PICOの思い出

アンパンMEN(ムキムキ)の声を聞いてTwitterでつぶやいたら、
ふと思い出したSEGAのPICO
対象年齢が3~6才くらいだったと思うので、今の大学生さんあたりだと
リアルタイムで遊んでいた方がいるかもしれないと気付いて絶望感に浸ったのでした。

私が最初に就職した会社がプログラム関係でして、
社内にビジネスソフトとアミューズメントソフトの部署がありました。
アミューズメントのほうはSEGA TOYSさんの下請けだったのです。
研修後、私はアミューズメントの部署に配属され
PICOゲーのプログラマをしておりました。
ついでに楽譜が読めるという理由でサウンドも担当しておりました。
(読めるっつっても義務教育レベルだけどな!)

PICOのハードはほぼメガドライブと同じでしたが、
サウンド面ではFM音源が省かれていたので
PSG3音+ノイズでBGMやSEを作る毎日でした。
たぶん20本以上は関わったかなぁ…30本近いかも。
あぁもうすでに胃がキリキリしてきた(汗

1本の開発はだいたい3ヶ月から長くて半年、
1チームはだいたいプログラマ2+グラフィック2+サウンド1(プログラムと兼任)、
デバッグ時には他のチームからヘルプを呼んで増員、という内訳だったかなー。
今だとDSの開発はこんな感じみたいですね。
プログラム環境は9801でしたが、グラフィック環境はX68k用だったので
開発室にX68kがずらっと並ぶ異様な光景でした。

部署には20人くらいいたかなぁ…PCゲーの開発と比べたら大所帯ですね。
当時、知育ソフトとしてはかなり当たりだったのか、
有名所のキャラを使ったゲームは軽く5万本とか出ちゃってたみたいで、
調子の良い時期はかなり忙しかった記憶があります。
某セーラー何とかが確か10万越え…20越えたかも…
なにしろずいぶん儲かったと聞きました(笑
版権料も高いんでしょうけど、それでもこれだけ数が動くと
知育ソフトにはドリームがあるなぁと感じます。
金出すのが親ってのもでかいですね。参考書を買い与える心情なのか。

しかし90年代後期になるとさすがにハードが寿命をむかえ、
ゲームの数も減少の一途を辿ります。
こうなると開発陣は別のハードや次世代機に移行しないといけないのですが、
いかんせん68000アセンブラをごりごり書くような仕事だったので
潰しがきかなかったんですかね。
時代の流れについて行けず社員はどんどん減っていきました。
(私もそのあたりで調子崩して辞めました)
グラフィック部隊もいわゆるドッターだったので、
こちらは3Dの波にのまれてしまったのかなぁ……
さらにビジネスソフトの部署もだいぶ落ち込んでいたようで
会社を辞めて2~3年後くらいだったかなぁ。
ふと社屋の前を車で走ったら潰れてたのを覚えてます。儚ぇ!

やっべーどんどん思い出してきたので続く(°Д°)

●ネコぺぐ
IMG_0515.jpg
無印で買った見た目高級な布が好きな猫様。
春頃の写真かなコレ。くるしゅーなさそうです。

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曲担当の内山が綴るブログです。
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